1.
健康経営とは? なぜ多くの企業が取り組むのか
健康経営®とは、
従業員の健康管理を経営的な視点で捉え、戦略的に取り組むこと
を指します(「健康経営」はNPO法人健康経営研究会の登録商標です)。
ポイントは、従業員の健康をコストではなく、生産性や企業価値を高めるための
「投資」
と考えるところにあります。健康な状態でいきいきと働ける人が増えれば、一人ひとりのパフォーマンスが上がり、組織全体の力にもつながる、という発想です。
背景にあるのは、
深刻な人手不足
が挙げられます。採用がますます難しくなるなか、いま働いている人に長く元気に力を発揮してもらうことの重要性が、これまで以上に高まっています。
国も健康経営優良法人を後押し
国も、健康経営を後押ししています。経済産業省と日本健康会議による「健康経営優良法人認定制度」では、優れた取り組みをする企業を見える化し、
社会的な評価につなげる仕組み
が整えられています。
この制度は、大規模法人部門(上位はホワイト500)と中小規模法人部門(上位はブライト500)に分かれています。認定されると、ロゴマークを採用活動や名刺に使えるようになり、求職者や取引先、金融機関などに、自社の取り組みをアピールしやすくなります。
中小企業からの申請も年々増えており、
健康経営はもはや大企業だけのものではなくなっている
のです。
実際、2026年の認定では、中小規模法人部門に23,085法人が認定されました(大規模法人部門は3,765法人)。上位500法人の「ブライト500」、501〜1500位の「ネクストブライト1000」といった区分も設けられ、裾野は着実に広がっています。
認定を受けた企業には、一部の自治体や金融機関で低金利融資や補助金といった
優遇措置が設けられる
こともあり、採用や対外的な信頼に加えて、
経営面でのメリットも期待
できます。人手不足のなかで「働きやすい会社」として選ばれるための、現実的な打ち手になっているのです。
このような制度が整うにつれ、多くの企業が
「まず何をすればよいか」
と施策づくりに動き始めています。ただし、ここにひとつの落とし穴があります。
参考:
経済産業省 健康経営優良法人認定制度
2.
健康経営の施策を増やしても効果を感じにくい理由
健康経営というと、健康診断の受診率や運動イベントの参加率、歩数といった、身体に関わる数値目標が中心になりがちです。目標が数字になっていると進捗を管理しやすく、認定の要件にも沿いやすいためです。
これらは、健康経営の土台となる欠かせない取り組みです。同時に、数字で管理できる部分と並んで、数字には表れにくい大切な領域もあります。それが
「心の健康」
です。
たとえば、心身の不調を抱えたまま出勤し、本来の力を発揮できていない状態を
「プレゼンティーズム」
と呼びます。会社を休む欠勤(アブセンティーズム)よりも、むしろ生産性への影響が大きいとされ、健康経営では見過ごせないテーマです。
頭痛や肩こり、睡眠不足だけでなく、気分の落ち込みや意欲の低下といった心の不調も、大きな要因となりえます。
働く人々の心身の不調の背景には、
職場の人間関係のストレスや孤立
が関わっていることも少なくありません。上司や同僚とうまくいかない、相談できる相手がいない、なんとなくチームに馴染まない。そうした状態が続けば、身体を改善する取り組みをいくら行ったところで、根っこの部分は晴れないままです。
心と身体のつながりは、実際の取り組み事例にも表れています。
経済産業省が紹介する健康経営の事例のなかには、コロナ禍で従業員同士のコミュニケーションが減り、笑顔が失われ、ストレスの高まりから職場の空気が重くなって離職が増えた、という中小企業の例があります。
この会社が取り組んだのは、健診の強化ではなく、
社内のコミュニケーションを増やす工夫
でした。その結果、ストレスを感じる従業員が減り、採用にも良い影響が出たと報告されています。
身体そのものではなく、職場の雰囲気や空気といった目に見えないポイントに手を入れたことが、健康と定着の改善につながった一例です。
ストレスチェックは、こうした状態に気づくための有効な仕組みです。一方で、その性質上、どうしても「悪い状態」の人を見つけることに重心が置かれがちです。
効果を出すには、不調を見つけて対処するだけでなく、
日々の感情や人間関係、職場の空気
にも目を向ける必要があります。
参考:
経済産業省 健康経営(プレゼンティーズム等)
経済産業省・健康長寿産業連合会 健康経営の取り組み事例(ACTION!健康経営)
3.
「心の健康」は、日々の感情と職場の空気から
身体の健康と心の健康は、切り離せるものではなく、地続きです。
この点について、ウェルビーイング研究の第一人者である前野隆司教授は、インタビューにて
「健康に気をつけるように、幸せにも気をつける」
という考え方を語っています。
体重を測り、運動に気を配るのと同じように、日々の心の状態にも意識を向けよう、という発想です。
前野教授によれば、心の状態が下がっているサインは、特別な検査をしなくても、日常のなかに表れます。人との会話量が減る。仕事にやりがいを感じにくくなる。笑顔が少なくなる。どれも、職場の空気のなかに現れる変化です。裏を返せば、こうしたサインに気づける職場は、心の健康を守りやすい職場だといえます。
とはいえ、こうしたサインは数値の目標には表れにくく、日々の忙しさのなかで見過ごされがちです。健康診断の数字は毎年きちんと管理していても、「最近あの人の口数が減った」「チームから笑顔が消えている」といった変化には、気づく仕組みがないことが多いのです。
だからこそ、身体の指標だけでなく、
職場に流れる感情そのもの
に意識を向けることが、心の健康を守る出発点になります。
こうした視点は、いまや国の施策の方向とも重なってきています。健康経営を推進する公式ポータルでも、近年は
「心の健康投資」
や
「つながりのある職場づくり」
といったテーマが掲げられるようになりました。
これまで健康経営の中心にあった身体の健康や生活習慣に加えて、心の状態や人と人とのつながりを、経営が投資すべき対象として捉え直す動きが広がっているのです。
身体の施策から一歩進んで、職場に流れる感情やつながりに目を向けることが、これからの健康経営の焦点になりつつあります。
言い換えれば、健康経営はいま「身体を守る」段階から
「心と関係性まで含めて整える」
段階へと移りつつあります。
中小企業にとっては、大企業のように大規模な健康投資ができなくても、職場の空気という誰の目の前にもあるものに向き合うことで、この流れに自然に乗っていける、ということでもあります。
「健康に気をつけるように、幸せにも気をつける」幸福学の第一人者・前野隆司教授が語る、ウェルビーイングの本質
4.
心の健康は「予防」から|職場で無理なくできること
では、職場の空気を整えるために、何から始めればよいのでしょうか。ヒントは、身体の健康づくりにあります。健康が「病気になりにくい状態を保つ」予防に価値があるように、心の健康も、不調が出てから対処するより、
不調になりにくい状態を日ごろから保つこと
が大切です。
前野教授も、悪い状態をゼロに戻すだけでなく、良い状態をさらに良くしていく“予防的”な発想が大切だとおっしゃっています。
「ちょっと元気」を「まあまあ元気」に、「まあまあ元気」を「かなり元気」に。心の健康も、少しずつ底上げしていくものだ、という考え方です。
職場でできる予防は、大がかりなことではありません。相手の様子を気にかけて声をかける。忙しそうな人をねぎらう。助けてもらったら「ありがとう」と伝える。
半年に一度の評価だけでは拾いきれない、日々の小さな貢献や工夫に対して、その都度感謝や称賛を伝えることも大切です。
こうした日常のやり取りが、心が沈み込む前のクッションになります。特別な制度ではなく、健康づくりでいう“毎日の軽い運動”のような、
無理なく続けられる習慣
です。
明日からできる、小さな取り組みの例をいくつか挙げます。
-
朝のあいさつに、ねぎらいや感謝の一言を添える
-
手伝ってもらったら、その場で「ありがとう」と伝える
-
1on1や面談の冒頭で、相手のよい変化や貢献に触れる
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忙しそうな人に「無理していませんか」と声をかける
-
交わされた感謝や称賛を、あとから見返せる形で残す
ひとつ注意したいのは、
義務やノルマにしないこと
です。「1日に1回は感謝しよう」とルール化したり、無理な評価や報酬に結びつけたりすると、行為が手段になり、かえってストレスの種になってしまいます。
身体によい運動も、無理やりやらされれば続かないのと同じです。自然に生まれるやり取りを、そっと後押しするくらいがちょうどよいのです。
そして、その起点になるのは経営者や管理職の存在が欠かせません。上に立つ人が部下の体調や気分の変化に関心を向け、自分から声をかける。その姿勢が、職場全体の
「心の予防習慣」
を静かに広げていきます。
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5.
見えにくい「心の状態」に、手がかりを持つ
予防的に手を打つうえで難しいのは、
心の状態が見えにくいこと
です。身体の健康なら、体重や血圧、健診の数値といった形で変化に気づけます。
ところが心の状態や職場の空気は、目にも見えず、数値にもなりにくいため、悪化してから気づくことになりがちです。
体調管理に体重計や歩数計といった道具があるように、心の状態や職場の空気にも、変化に気づくための手がかりがあると助けになります。たとえば、日々交わされる「ありがとう」を記録できるデジタルサンクスカードは、その一つです。
こうした仕組みが、予防的な健康経営にどう役立つのでしょうか。
ひとつは、その場で消えてしまう
感謝のやり取りが記録として残り
、職場にどれだけ温かいやり取りが流れているかを振り返れることです。
ふたつめに、誰と誰のあいだで感謝が交わされているかが見えることで、やり取りが少なくなっている人やチームに、
早めに気づく手がかり
になります。これは、不調が深刻になる前に声をかける予防につながります。
そしてもうひとつ、「ありがとう」を伝え合う機会が自然に増えることで、職場の空気そのものが少しずつ上向いていきます。悪い状態を見つけるだけでなく、
良い状態を育てる
という、前野教授の予防的な発想とも重なります。
大切なのは、人を評価したり監視したりする道具にしないことです。予防のために職場の状態に気づくための、下支えになる選択肢のひとつとなります。
6.
まとめ
健康経営では、健康診断や運動、食生活の改善といった身体の健康を支える取り組みとともに、人間関係や日々の感情、職場の空気といった心の健康にも目を向けることが重要です。
制度や施策と、日々の挨拶や「ありがとう」といった小さな行動。その両方がそろってこそ、健康経営は力を発揮します。
まずは、自社の職場にどんな空気が流れているか、日々の「ありがとう」がどれくらい交わされているかに、目を向けてみることから始めてみてはいかがでしょうか。