人的資本経営、中小企業は何をすべき?数字だけではない“職場のつながり”

「人的資本経営」という言葉を、ニュースや取引先との会話で耳にする機会が増えていないでしょうか。一方で、「あれは大企業の話で、うちのような中小企業には関係ない」と感じている経営者の方も多いかもしれません。

実際、有価証券報告書での情報開示が義務づけられているのは大手企業であり、多くの中小企業は対象ではありません。
しかし、人材の採用がますます難しくなり、働く人が「どんな会社か」を以前より厳しく見るようになった今、人を大切にする経営の姿勢は、企業の規模に関係なく、会社の力を左右します。

この記事では、中小企業の経営者に向けて、難しい開示実務の話ではなく、自社の人的資本経営を「何のために、どう捉えればよいのか」という判断軸を整理していきます。

目次

人的資本経営、中小企業は何をすべき?数字だけではない“職場のつながり”

1. そもそも人的資本経営とは? 中小企業に義務はあるのか

人的資本経営とは、人材を「費用」ではなく「資本」として捉え、投資の対象と考えることで、企業価値の向上につなげる経営の考え方です。
人件費を単なるコストとみなすのではなく、育成や環境づくりへの投資が将来のリターンを生む、という発想に立ちます。

国内では、2020年に改訂された経済産業省の「人材版伊藤レポート」をきっかけに広まりました。

言葉としては新しく聞こえるかもしれませんが、考え方そのものは、多くの中小企業が昔から実践してきたことに近いものです。

限られた人数で会社を回し、一人ひとりの成長が業績に直結する。人を大切にすることが経営の土台になる。
その感覚を、あらためて経営の言葉として捉え直したものが人的資本経営だといえるでしょう。

なぜ今、人的資本経営の考え方がこれほど注目されているのでしょうか。背景には、投資家の目線の変化がひとつ挙げられます。

かつて企業価値は工場や設備といった目に見える資産で測られてきましたが、近年は人材やノウハウ、組織の力といった目に見えない資産が、企業の競争力を左右するという見方が広がりました。

環境・社会・企業統治を重視するESG投資の流れも後押しし、投資家は「その会社が人にどう投資しているか」を企業評価の材料にするようになっています。

海外では先行して情報開示が進み、日本もその潮流のなかで制度を整えてきました。人的資本経営は、一過性の流行ではなく、企業の価値の測り方そのものが変わってきたことの表れなのです。

中小企業が人的資本経営に取り組むべき理由

ここで、制度について整理しておきましょう。日本では、2023年3月期の有価証券報告書から、大手企業約4,000社を対象に、人的資本に関する情報開示が義務化されました。

「サステナビリティに関する考え方及び取組」という欄が新設され、人材育成方針や社内環境整備方針の記載が求められるようになりました。
あわせて「従業員の状況」欄では、女性管理職比率・男性育児休業取得率・男女間賃金差異の開示が必要になっています。

さらに、2026年3月期の有価証券報告書からは、人的資本に関する開示内容も拡充されています。
企業戦略と関連付けた人材戦略や、それを踏まえた従業員給与等の決定方針について、記載が求められるようになりました。

加えて、2027年3月期以降は、時価総額が一定規模以上のプライム市場上場企業を対象に、SSBJ基準に基づくサステナビリティ情報開示が段階的に始まります。

制度上は、多くの中小企業に法的な開示義務はありません。では、義務のない中小企業が人的資本経営を考える意味は、どこにあるのでしょうか。

それは、開示のためではなく、経営のために取り組むものと捉えられるからです。

人材の採用で選ばれること、限られた人材に長く力を発揮してもらうこと、そして取引先や金融機関から「人を大切にする会社」として信頼を得ること。

こうした効果は、一人ひとりの存在感が大きい中小企業でこそ、経営に直結します。

人的資本経営は、人事部門だけの取り組みではありません。採用、育成、定着、組織文化を通じて企業価値を高める経営戦略そのものです。
義務があるかどうかではなく、自社の未来のために取り組む。それが、中小企業にとっての人的資本経営の入り口です。

参考:
経済産業省 人材版伊藤レポート2.0
金融庁 企業内容等の開示に関する内閣府令の改正
内閣官房・金融庁・経済産業省 人的資本可視化指針(改訂版)(2026年3月23日公表)

2. 人的資本経営が「数えやすい指標」に偏りがちな理由

人的資本経営について調べると、多くの解説が最初に挙げるのは、女性管理職比率や研修時間、離職率といった、数えられる指標です。

大手企業の開示が、こうした比較しやすい数字を中心に組み立てられているためです。数字は客観的で、他社と並べやすく、投資家にとっても扱いやすい。だからこそ、開示の中心になりやすいのです。

数字だけでは自社らしさが伝わらない

ただ、ここには見落としがちな点があります。

政府の「人的資本可視化指針」自身が、他社と横並びの定型的な開示に陥らないよう、独自性と比較可能性のバランスをとるべきだと述べているのです。

つまり、みなが同じ指標を並べるだけでは、本来の狙いからは外れてしまう。数字は大切ですが、それだけでは自社らしさは伝わらないのです。

この難しさは、企業の実感としても表れています。パーソル総合研究所の調査では、多くの企業が、自社にとって重要な人的資本情報を特定しきれていないことが示されました。

出せる数字と、本当に伝えたい自社の姿とのあいだに、隔たりがある。数えやすいものは出せても、数えにくい大切なものは表現しづらい、というわけです。

中小企業が陥りやすい二つの失敗

とりわけ中小企業の場合、大手企業のように整った人事データがそろっていないことも少なくありません。

だからこそ、たくさんの指標を無理に集めようとするより、自社にとって本当に大切な「人の状態」を、何で捉えるかを選ぶことのほうが重要といえるでしょう。

ここで、中小企業が陥りやすい二つのつまずきに触れておきます。

ひとつは、数字を集めること自体が目的になってしまうことです。
開示のために指標をそろえ始めたものの、その数字が自社の何を表しているのか、経営とどうつながるのかが見えないまま、集計作業だけが負担として残る。

もうひとつは、大手企業の開示をそのまま真似てしまうことです。
規模も事情も違う会社の項目立てを持ち込んでも、自社の実態に合わず、続けられずに形骸化してしまいます。

どちらも、「数えやすいもの」を入り口としてしまったことが原因といえるでしょう。
まず、自社の強みである人と人のつながりに目を向ける。ここに、中小企業ならではの出発点があります。

参考:
内閣官房 人的資本可視化指針
パーソル総合研究所 人的資本情報開示に関する実態調査

3. 数字にしにくい「つながり」を、どう捉えるか

自社の人と人のつながりや、働く人のエンゲージメントは、数字にしにくいものです。

捉え方を考える前に、なぜ「つながり」に目を向ける価値があるのかを確認しておきましょう。

職場での孤立や関係の希薄化は、働く人の意欲や定着に影を落とすことが、さまざまな調査や研究で指摘されてきました。

逆に、周囲から認められ、支え合えていると感じられる職場では、人は力を発揮しやすくなります。

つまり、つながりは「あればよいもの」ではなく、会社の力を支える土台だといえるでしょう。だからこそ、見えるようにする意味があるのです。

つながりを捉える上で気をつけたいこと

ここで大切になるのが、つながりの捉え方です。方向を誤ると、かえって逆効果になりかねません。

ひとつ避けたいのが、監視のような捉え方です。勤務中の操作を細かく記録するようなやり方は、一見すると客観的なデータが得られるように思えます。

一方で、従業員が「常に見られている」と感じると、信頼や意欲はかえって損なわれてしまう。人を大切にする経営を目指しているのに、その手段が人を萎縮させてしまっては、本末転倒です。

もうひとつ、アンケートや組織サーベイは、組織の状態を知るうえで有効な手段です。ただ、それだけに頼ると、得られるのは実施したその時点の「点」の情報にとどまります。

大切なのは、蓄積したデータを土台にしつつ、日々自然に生まれる行動の積み重ねから、組織のつながりを「線」で感じ取ることです。

調査という点と、日常の行動という線。この両方を持つことで、はじめて組織の姿が立体的に見えてきます。

線を描くうえで手がかりになるのが、強制されたものではなく、社員が自発的に行う行動です。

命じられて書いた報告ではなく、思わず伝えたくなった言葉。そうした自発的な行動のなかにこそ、自社らしいつながりのかたちが表れます。

4. 中小企業が「日々のつながり」から始める人的資本経営

自発的な行動の積み重ねとして、もっとも身近なものが「感謝のやり取り」です。誰から誰へ、どのくらい「ありがとう」が交わされているか。

その様子からは、部署やチームを越えたつながりや、周囲から孤立しがちな人の存在など、組織の状態に気づく手がかりになります。

数字を集めるために新しい負担を課すのではなく、日常のなかにすでにあるものに目を向ける、という考え方です。

大がかりな仕組みや人事データの整備がなくても、日々のつながりを見えるようにするところから始められる。

これは、規模の小さな組織が人的資本経営に踏み出す、現実的で続けやすい一歩になります。

つながりの蓄積は会社の財産になる

日々のつながりの蓄積は、自社が自然に育ててきたもの。可視化され、形として示せることは、独自の説得力につながり、いずれ会社の財産となります。

たとえば、こんな場面を思い浮かべてみてください。

採用の面接で、応募者に「御社はどんな職場ですか」と問われたとき、実際に社内で交わされている感謝のやり取りを用いながら、部署を越えて助け合う空気を具体的に語れる会社と、制度や待遇の説明にとどまる会社とでは、伝わる魅力が変わってきます。

あるいは、朝礼や面談の場で、ふだん見えにくい貢献が可視化されると、当人だけでなく周囲の受け止め方も少しずつ変わっていきます。

ここで大切なのは、細かな運用ルールを整えることよりも、まず「自社のつながりに目を向ける」という姿勢を持つことです。

5. 感謝を可視化する仕組みを活用する

近年は、職場で交わされる「ありがとう」をデータとして可視化する仕組みが広がっています。

感謝や称賛のメッセージを気軽に贈り合えるものから、そこに少額のポイントやインセンティブを添えられるものまで、複数のサービスが登場しており、それぞれに特徴があります。

どのタイプが合うかは会社の風土や目的によって変わるため、いくつかを見比べて選ぶとよいでしょう。

株式会社オーケーウェブが提供するデジタルサンクスカード「GRATICA」もそのひとつです。職場で交わされる「ありがとう」をデータとして可視化する仕組みで、業界・規模を問わず700社以上に導入されています。

特別な準備がなくても始めやすいのが特徴。補足しておきたいのは、これは離職を予測したり、社員を評価・監視したりするための道具ではない、という点です。

できるのは、これまで数字にしにくかった社内のつながりの状態を、自発的な行動として、続けて見えるようにすること。

人的資本経営の第一歩を、無理なく形にするための選択肢の一つとして捉えていただければと思います。

6. まとめ

人的資本経営は、大企業だけのものでも、開示義務のためだけのものでもありません。

むしろ、一人ひとりの存在感が大きい中小企業でこそ、人を大切にする経営は、そのまま会社の力になります。

難しい指標を最初からそろえる必要はありません。まずは、自社のなかで日々どんなつながりが生まれているのかに目を向けること。

その小さな積み重ねが、採用で選ばれる企業づくりにつながり、従業員が長く力を発揮できる環境を育み、社会からの信頼を高めていきます。

中小企業の人的資本経営は、自社の成長を支える人と人との関係性に目を向け、職場に流れている「ありがとう」に気づくことから始まります。

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参考文献

経済産業省「人材版伊藤レポート2.0」
金融庁「企業内容等の開示に関する内閣府令の改正」
内閣官房・金融庁・経済産業省「人的資本可視化指針(改訂版)」(2026年3月23日公表)
内閣官房「人的資本可視化指針」(2022年)
パーソル総合研究所「人的資本情報開示に関する実態調査」

株式会社オーケーウェブ GRATICA編集部

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